2013年7月19日金曜日

夏休みへ



私があずかっている生徒たち、各学校の期末試験が終わった。
お疲れさまと、労いたい。

きいている範囲で、よくできたという手応えは、数えるばかり。
大半が、ショックで声にもならないといった様子である。

見るからに、痛ましい。
おそらく、保護者のみなさまにあっては、実際に胃の痛み、だろう。

およそ無責任かもしれないが、終わったことはあまり気にしないでいい。
むしろ、これから始まる夏休みのことでも、考えていきたい。

少々のことでごちゃごちゃ言っても始まらない。
夏休みは、蝉の命ほどに短く過ぎ去っていくものだ。

この、始まりかけの、7月末にかけてが、いちばん楽しい。
あとは気だるさと、焦りの残暑に過ぎない。

一日一日をしのぎ、生きながらえていれば、
それでいいじゃねえか。

そう思えてくるに、ちがいない。

2013年6月25日火曜日

もうすぐ期末

あまりにも忙しくって、ブログを書く間なんて、なかった。
6月、教会開催のコンサートに追われた。

私は最近よく言われる。
痩せた、と。

それでも、私の生業は塾なものだから、指導はしていた。
それはそれで、大変なことだった。

気がつけば、生徒たちは期末試験を迎えようとしている。
ある意味、いや実際、一時期、倒れたこともあったのだが、
私が今夜もこうして指導ができていることは、奇跡的なことだと思ってもらってよい!


話は変わるが、
実は今日、夫婦で免許証の住所変更に行ってきた。
引っ越して一年は経とうかという、焦りが重くのしかかっていたのである。

私たちは、署に入ってから、そわそわして落ち着かなかったものだ。
もうなんでもいいから、自白させてくれ・・・
椅子に腰掛け手続きを待つ私たちは、心の中でそう激白した!


疲れたんだよ。
生徒の皆さんは、試験勉強をがんばってください。

2013年4月16日火曜日

庭仕事


昨日、今日と天気がよく、気持ちがいい。
ずいぶんと暖かくなったので、自然と体が動き、庭仕事へ。

雑草は、よくもこれだけ生えてくれるものだ。
これを引っこ抜くだけで、ずいぶんな運動になっているような気がする。
少し汗ばむ。

おまけに気分転換にもなってよい。
勉強ばかりも体に良くないよ、といろいろな方が声をかけてくださる。
そういった意味では、天気が良い日に庭仕事、には健康的な響きがある。

庭にいると、様々な生き物が飛来してくる。
昨日は、つばめが飛んでいて、へえと思った。
今日は、薄緑色の小さな鳥が軒の上を跳ねていた。

あの鳥は、うぐいすなのだろうか。
鳴いてくれればわかるのだが。
鳥の名前ひとつ出てこないのだから、無粋に感じる。
勉強ばかりしていると良くないこと、のひとつだろうか。

2013年4月12日金曜日

古本は売っていない


今日は天気が良いのだが、朝から寒い。
特に風が強くて、迂闊に外に出てしまうと、疲れすら感じてしまう。
三寒四温の最中では、体が重くなる、一般的な身体の反応だという。
もう4月になって幾日も過ぎたのに、もどかしいものだ。

この時期、学年が変わると、先生も変わって、慣れるのに戸惑っている生徒がいる。
自然なことだと思うし、どうせ慣れるのだから、焦らずに構えていたほうがよい。

ところで、昨日はブログでおかしなことを書いてしまった。
「古本を売りに行った」という。
これはおかしい。
「要らなくなった本を、売りに行って、古本にした」のだ。
日本語は難しい。

本は、気がつけば、読みたい趣向がガラリと変わっている。
年を取ったせいだろうか。
これまで熱心に読んでいたものへの、興味が薄れていった。
逆に、いま熱心に読み始めたものが、本棚を一掃し、景色を変えている。
どちらかと言うと、結局残した本は、いただいたりした稀少な古本が多い。

どうやら私は、「古本だけは売りに行かなかった」といったほうが正しいようだ。

2013年4月11日木曜日

古本を売りに


次女のおたふくかぜも無事に治り、長女の小学校も始まった。
生徒たちも、学年が一つあがって、それぞれみな進級である。

今日は、朝から寒く、雨も降り、あまり体を動かす気分にもなれない。
それでも、要らなくなった本を大量に売りに出かけていった。
どうせ値もつかないだろうという本は、ちょうど紙ごみの日だったので、紐で縛って捨てた。

このようにして、新しいものが古いものを塗り変えていく。
少し気分がさっぱりした。その点、春らしいように思う。

2013年4月4日木曜日

おたふくかぜ


春休みも終盤戦である。私のところに通う生徒は、みな血相を変えた。
ラストスパート、だとか、追い込み、だとか、そんな声しか掛けようもない。
みなさん、がんばってください。

私はといえば、復調した安堵も束の間、次女がおたふくかぜにかかった。
いわゆるムンプス、英語発音ならマンプス、か。
通っている園のクラスで、いま流行りに流行っているので、そんなに驚かなかった。

かかりつけのお医者様が、なぜそんなに勉強するのだ、と聞いてくる。
お医者様というのは、すごい。
いま私が必死で学んでいるドイツ語やラテン語を、とっくに習得しておられるからだ。

じゃがな、近頃は英語、よ。
そちら(医学)のほうでも、やはりそうなんですか。

ちなみにこの方は、アラビア語もできる。旅行のためのものらしい。
ドバイ、だったっけ。
医学部へいきたいと思っている生徒は、そんな夢でも馳せてみればいい。

とにかく、私は、次女がおたふく。自宅で長女と大暴れ。
5日間の強制自宅待機。土曜の入園式は、もちろん欠席。
これから週末にかけて、春休みのラストスパート、ついに追い込まれるところまで追い込まれてしまった。

2013年4月3日水曜日

快復、授業を再開


急性胃腸炎になったのは先週の木曜日のことです。
初日からとにかく、激痛と高熱で起き上がることができませんでした。
二日間それが続き、食事ができず、スポーツ飲料水を飲み続け、朦朧と伏せるばかりで。結局木曜日と金曜日の授業はお休みにしてしまい、生徒の皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。
この場を借りてお詫び申し上げます。

土日もダウンしていたのですが、授業は週明け月曜から行っています。
胃腸炎のほうは今日を持って治ったといえる状態になったので、このブログも久しぶりに書いているわけなのですが、治ったのは神さまのおかげです。
もちろん、病院へはきちんと行ったのですが、病の克服には、祈りです。

生きていることは試練そのものに違いありませんが、人に乗り越えられない試練は与えられないとは、聖書にあるとおりです。
また、こうやって生かされているのは、恵みに他ならないのですが、試練そのものも実際は恵みなのだと実感します。
いつ、どこででも感謝せずにはいられませんが、語学を再開出来たときは、ほんとうにありがたくてなりませんでした。
勉強できるのは、幸せなことです。

本日、3月中に読み終えるつもりだった、ラテン語のDisputatio Heidelbergae Habita (ドイツ語訳Heidelberger Disputation) を、これはいわゆる『ハイデルベルク討論』というやつなのですが、やっと読了できました。
さっそく、次のを読み始めています。
病で遅れをとった分は、取り戻していかなければなりません。
実に、語学は一日休むと、三日の遅れが生じる。どれだけ体調が悪くても、一頁でも半頁でもいいから進めたほうがよいのです。

2013年3月28日木曜日

語学のノルマ


今日もなんとかノルマをこなせた。私の語学のことである。
ノルマ、か。久しぶりにこんな言葉を使っているな。
生徒のみなさんも、春休みの宿題のノルマに追われています。たいへん、いいことです。
とくに、語学はね、それはみなさんの場合、英語に関して言うのであるが、少しずつでも毎日やるのが、大切なことね。
今日も生徒を教えていて、我ながらいいことを言ったな、とハッとさせられたのだが、「大体わかれば、それでいいのね。8割ぐらい、とか」。
思想家の吉本隆明も、そんなことを言っていて、今の時代に、「大体でいいんじゃない」と言えるのはすごい、と作家の高橋源一郎が、コラムかなにかに書いていたような気がする。
それが、頭に残っていたのだろうか。
3月も残り少なくなってきたが、独習しているラテン語ドイツ語対訳の本、目標としていたところ、のこり数ページと迫ってきた。
上達もしてきたように、思う。つまり、読んだ部分、大体わかった。

2013年3月26日火曜日

ソロモンの花


春を感じるようになったので、久しぶりに草むしりをしている。
昨年の夏、秋と教会周りの雑草は一掃したはずだったのだが、自然の生命力は凄まじいもので、冬眠していた間に一面雑草、である。

この冬は信じられないぐらい寒かったはずだ。
それが気がつけば、ずいぶんと暖かくなっている。わからないものだ。
聞くところによると、松山でも各所で桜が満開になろうかという勢いで咲いているらしい。
これは、塾に来てくれている生徒や、教会で練習をされている合唱団の方からの情報だ。

実は私は、それほど桜が好きではないし、花見にも興味がない。そもそも友達がいないし、花見になど決して行かない。
じゃあ、家族でも連れて行けばいいじゃないか、という意見もあろうが、これがまったく気乗りしない。
むしろ、紫がかった白い花が、名もわからないのだが、庭一面に咲き誇っているのに気づき、驚かされたのが、かえって気持ちいい。
洗濯物を干すついでに見る、といったぐらいのことで、それほど熱心なわけでもないのだが、見る都度、可愛いものだな、としみじみ感じ入るのだ。

そこで私はこれを、ソロモンの花、と名づけた。
箴言に由来する、ソロモンなのだが、これはわかる人にしかわかるまい。この花の咲き方には、人を励ます優しさが漂っている。
おそらく私がいなくなった後も、このソロモンは、春になると咲き乱れるだろう。世間が花見だといっている季節になると。

そのとき、この花の存在に気づき、励まされる誰かがいる、と想像してみるのだ。
こういった春の味わい方が、じつに私らしくていい、と考えている。
ソロモンの花。いいネーミングである。

2013年3月23日土曜日

復シュー


復シューとは、結局何度でも繰り返してシューマンを聴いてしまう、ということを意味します。

これはきわめて大切なことですが、無理を重ねて疲れ切った、この週末の夜においてさえ、いやしを求めつつ、なおも力づけられるとすれば、シューマンをおいて他には考えられないのです。
さきほどブラームスの交響曲4番を聴いていたら、家族から、ちょっとやめてくれないか、という苦情をいただきました。
そういった身近な環境問題から、平和への解決策、たゆまぬ努力を続けていかなければなりません。

あらためて言いますが、その第一歩が、復シューなのです。これぞ、いのちへと至る道。

2013年3月22日金曜日

春休みの夜シュー


夜シューとは、ふと落ち着きを取り戻した夜に、シューマンを聴いてしまう、ということだ。

ところでこの世には、祝日というものがある。
これが、日々保ってきた生活リズムを狂わせてしまうのだ。
とりわけ、子育てをしていると、たいへんなことになる。
学校や園に対する感謝の念が切実になるのも、まさにこのときだといえよう。

私があずかっている生徒の多くも、春休みに入った。
どの学校も、宿題がどっさりと出ている。
それは、遊ばせない、という魂胆なのだという。
いずれにせよ私の周囲では、休みであればあるほど忙しいという法則が成り立っている。

だとすれば、これを休みと呼んでよいものなのだろうか。

2013年3月15日金曜日

未来系バッハ


今日は、塾を終えた後、武久源造さん、山口眞理子さんたちが催されたプラネタリウム・コンサートへ。終演までに間に合い、数曲を拝聴することができました。コンサート途中からの入場という本来あってはならないことまで許していただき、いろいろご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
お二人には、6月に、このルーテル教会でミニ・コンサートを開いていただきたいと願っていて、現在企画を進行しているところなのです。いろいろと壁がありますが、是非、実現させたいものです。改めて胸が熱くなりました。6月、是非!

2013年3月14日木曜日

寒い夜はシューマン


教会の塾では、バッハしか聴かないのです。いろいろ理由があります。落ち着いて生徒とともに勉強をするには、バッハしかなかろうと思うのです。ロマン派になると、とたんに激しくなりますから、塾にはちょっと、と躊躇します。それはそれで面白いのかもしれませんが。
しかし、塾を終え、いよいよ夜を迎えるというとき、実は最近、シューマンにはまっています。若い頃はモーツアルトとかベートーベン、ときどき印象派。まあ、ありがちな感じで。それがこの歳になってロマン派かよ。自分でもあきれ返ってしまいます。
生徒の親御さんから、家で勉強しない、という嘆きの相談を受けることがあります。よくある原因はゲームにはまっている、というものです。なるほど、それは時代の問題かもしれません。私から言える解決策はただひとつ。寒い夜は、シューマン。それが、ここまで生きてきて見つけた結論でした。

2013年3月13日水曜日

雨の日の勉強法


変な一日だった。朝、合唱団の送り迎えをしたときから、妙に生ぬるい風が吹くなあ、と思っていたのだが、昼を過ぎてからはドシャ降りとともに、グングン気温が下がっていき、これに、すっかりやられてしまった。こういう日は決まって偏頭痛に悩まされる。まあ仕方がないのだが、体調不良のまま、夜を迎えている。
どれだけ体調不良でも、語学はサボってはいけない。一日に一頁でも半頁でも進めたほうがよいのだ。一日休むと三日分、一週間休むと一ヶ月後戻りしてしまうのが、語学の世界である。そういったわけで、昼も堪えながら勉強した。もちろん、これから寝るまでもやるだろう。語学の世界は、生半可にはいかないものだ。
こんな雨音の伝わる夜の語学には、ピアノの響きが絶妙である。

2013年3月12日火曜日

夜、シューマン


できれば、早く寝たいものですね。ところが、夜の勉強を始めてしまうと、ついつい夜更かしになってしまうのです。ああ、今夜も勉強してしまいそうだ。


夕方、4番


やはり、花粉が飛んでいる。マスクだけでなく、ゴーグルがほしい。松山では、マスクをしている人は、もちろん多いが、ゴーグル姿は見たことがない。花粉対策用のゴーグルはあるはずだ。おそらく高価なものなのだろう。私の財布事情から言えば、手が出せない。しかし、ひとつだけ手があることに気がついた。あとは、実行に移すかどうか、だけである。もちろん、夏に使っているゴーグルだ。

珈琲ブレイク、2番


ちょっと一息。私、珈琲、よく飲む。一日何杯飲めば、気が済むのかね。
洗濯物を回して、家事にも抜かりがない。ラテン語、ドイツ語、ラテン語、ドイツ語。
干すときの花粉が怖いんだよ。

昼は3番



この3番は、意気が上がっていい! 昼はこれにかぎる。

愛光は今日から学年末試験が始まっています。がんばってください。
わたしも、昼の勉強、がんばります。天気もいい。今日は暖かいので助かります。

朝勉シューマン

もうちょっと早起きしないと、朝がもったいない! 今晩こそは、早く寝よう。最近、夜更かしが過ぎる! 朝の決意、シューマン。


2013年3月11日月曜日

週明けのシューマン


寒かったですね。私は、寒いのが苦手なのです。教会で合唱団の方のお見送りをしているときに、寒いか、暖かいか、どちらかはっきりしてほしい、という声を聞き、なるほど、そうか、とも思いました。
語学をやっていると、なかなか思った通りにはいかなくて苛立つ場面があります。早く進めたいけど、ここはじっくりと仕上げていかないと、という局面。まあ、でも、じわじわと進んでいるわけですから、焦らず続けていくことが肝心なのでしょう。
遅かれ早かれ、春はやってくるのですから。まだしばらくは、お湯割りが続きそうです。さてと、夜の勉強を始めますか。シューマン、今週もよろしく。

インベンション、始まる


子どもたちが寝付いた後、ママちゃんと音楽について熱く語らい合った夜。ノラちゃんが飯をねだるので、窓を開けてやると、サッと室内に上がってきた。朝の暖かさが嘘のように、冷え込んだ空気がネコと一緒に入り込む。よほど寒かったのだろう。

娘がいよいよこの曲の練習を始めたので、私としてはうれしいばかり。寝る前にシフとグールドの動画を聴き比べると、えらく興奮して、シフはずるいと言っていた。ハハ、そりゃそうかも。もうこんな時間。早く寝ないと。音楽は、おもしろいね。おもしろいよ、音楽。

2013年3月10日日曜日

週末はシューベルト


週末は、子育てパパ。今日は長女をジュンク堂に連れて行って、文庫本を買ってあげた。いまどきは、小学生向け文庫が充実しているんだな、と実感。私に似て、めちゃくちゃよく本を読む。本代がバカにならん。結果、私が自分の読みたい本を我慢してまで、本屋にわざわざ足を運んでるのに買えない羽目に。大変だ、子育ては。子どもが寝静まったら、やっと私の時間。もちろん勉強。勉強に休みはない。アラウのシューベルト、なぜこんなに素晴らしいのか?不思議だ。もう寝る。明日があるので。

2013年3月8日金曜日

夜、シューマン


塾の生徒たちが、よくがんばってくれているので、ほっとするのです。学校によっては、学年末試験がすでに終わったところもあり(平成と青雲)、なかなか良い結果を出してくれている子もいます。愛光は、いよいよ週明けからですから、この週末が勝負どころではないでしょうか。

私はといえば、これから夜の学習に取り組むところ。昼間の花粉や大気汚染が、この時間になってからじわじわくるところが不快ですが、やむを得ません。焼酎のお湯割りはすでに始めています。片手に辞書で、片手にお湯割りだと、両手が塞がっているのではと訝る向きもあるでしょうが、実はこれらに加えて、最近お気に入りのシャーペンまで駆使しているのです。これこそ、夜の勉強の奥義だといえるのではないでしょうか。あとはシューマンを弾いてもらえば、完璧です。

午後のシューマン


外に出ると、とても暖かい。明るい青空が気持ちよく見渡せるのだが、遠くの山に目をやると、いつもはくっきりと浮かぶ稜線がまったく見えない。なにか霞みかかってるというか、煙っているというか、心から気持ちよいとは言いがたい気配。この環境問題は、ひとりひとりにも考えさせられる段階にきている。そんな午後には、シューマンの3番から始めるのが、実によく合っている。

目覚めのシューマン



こればっかりだ。毎朝。それでよいのだが。私としては。 今日も晴れ。勉強をいっぱい進めたい!

2013年3月7日木曜日

夜はシューマン、謝肉祭


シューマン、と思うきっかけになった、カルナバルで夜は過ごしてみる。季節はずれだけど(謝肉祭は四旬節の前)。ちょうどそういった時期に、素晴らしい演奏を聴かせていただいた。それで好きになった。

コンサートには、足を運んでみるべきだ、と思う。音楽は、体感してみないとわからないところがある。スノビッシュなことが言いたいわけじゃなくて、よく知らない曲目だろうがなんだろうが、行って聴いてみれば、このいのち、捨てたもんじゃないなと思わされる感動や発見があるということが言いたいのだ。

今日はたいへんな一日だった。しかし、まだこれから夜の勉強を始める。私が取り組んでいるのは、もっぱら語学である。これは一日に10分でも時間がとれるのなら、やっておいたほうがいい。それも休むことなくだ。一日休めば、それは三日もの遅れになるという。

辞書片手に、麦焼酎のお湯割り片手に。それが語学のスタイルの、王道なんだよ。夜は!

シューマン、午後もシンフォニー

バーンシュタイン、再アップ。今日は本当に暖かい。
お昼に弁当を買いに出ると、汗ばむくらいだった。

大気中、何かが飛散している。よって、マスクが手放せない。

部屋の中にいると、うって変わってひんやりと感じるものだ。
この時期、体温調節が非常に難しい。

シューマンの交響曲は、いい。素晴らしいとしかいいようがない。
仕事がはかどる。シューマンには血を滾らせる何かがある。


シューマンのシンフォニー第1番



朝の目覚めに最適ですね、これ。 すっかり気に入った。 今日も天気は、洗濯に最適。 花粉やら何やら飛んでいるらしいので、気がかりなのですが。 あと、このBloggerの調子が悪い。 その花粉やら何やらのせいだろうか。 とりあえず残り午前の作業に取り組む。

2013年3月6日水曜日

Horowitz in London - Scarlatti, Chopin, Schumann, Rachmaninov, Scriabin ...

結局、シューマンの交響曲、3番の途中で時間切れとなった。
そのまま授業に突入。

仕事を終えると、同じ気分が働くわけでもなかったので。
あとは寝るまで勉強。片手には、もちろん麦焼酎、お湯割り。

Schumann - The Symphonies (Bernstein).

3時半。勉強がはかどる。
シューマンのシンフォニー4番を2回聴いた。すばらしいな。

というわけで、いっそ1番から聴いてみるか、ということで。
全部は無理か。塾が始まる。
まあ、いいや。

Pierre Monteux - Schumann, Symphony No. 4 in D Minor, Op. 120

午前中は用事に追われた。
今日は春の日差し。暖かい。

もう2時か。

2013年3月5日火曜日

Brahms: Symphony no. 1 (Furtwangler)

なぜか、こういったものを聴いてしまった夜。
いま、たいへん難しい勉強に取り組んでいます。

ラテン語・ドイツ語対訳(左がラテン語で右がドイツ語の見開きになっている本)という、
とてもおもしろいのですが、決して簡単ではない代物で。
辞書二冊をフル回転させて、狭くなったキッチンのテーブルに、麦焼酎のお湯割りがあります。
よくこぼさないなあ、と我ながら感心しますが、習い覚えた事だからでしょうか。

そんなひとときに1952年のベルリン・フィルハーモニーがよく合うのです。

SCHUMANN CONCERTO Op.54 M.ARGERICH & GEWANDHAUSORCHESTER R.CHAILLY dir. ...

今朝から猛烈な追い込みをかけ、申告書を作成し終え、
昼過ぎに税務署に行き、提出してきました。

春めいたとてもいい天気で、気持ちがいいにはいいのですが、
おかげで花粉が大量に舞っていたようです。
それもまた、風物詩と思わねばならないのか。
そういえば、「花粉」というのは、季語になっているのか?

数字で埋まった書面を確認する受付の女性が、気の毒だという表情を決して浮かべまいとし、
なんでもない風を装っているように感じられたのですが、自意識過剰でしょうか?

そういったわけで、少し安心しました。
帰ってきてから、本来午前中に済ませておきたかった家事に勉強に追われています。
休んでる場合ではないのですね。

最近お気に入りのシューマン、で午後を過ごす。

2013年3月4日月曜日

Martha Argerich Chopin Preludes Op. 28

アルゲリッチが好きなのか?

最近、ショパン、シューマンを聴くのが好きになった。
え? ロマン派!? この私が?

毛嫌いしていたと思っていたものに、思わぬきっかけで惹きこまれていくことが、生きていると時折、ある。
会計のほうは順調に進み始めたので、締め切りには間に合いそうだ。
よって、読みかけている本を手に取る。

Martha Argerich - Schumann Piano Concerto, Liszt Funérailles and Ravel J...

この時期、ひとりで塾を経営されている方へ。
現在指導している生徒へのケア、新規生徒の募集、そして差し迫る決算書報告の期限・・・
3月って、大変ですよね。
とかいって、呼びかけてみたりする。

週が明けたので、私は朝から会計の打ち込みに追われております。
気分転換で、久しぶりに、アルゲリッチ。

2013年3月1日金曜日

2013年2月28日木曜日

塾を探している方へ

この時期になると、塾を探し始める方が多いかと思います。
そこで、私のほうから、この塾の指導について、改めて申し上げておきたいことをいくつか。

いま、指導している生徒は、愛光、平成、青雲のお子さんです。
特に、中学生がこの一年で増えました。
また、欠点をどう脱出したらよいのか、という相談が増えています。

これが、明らかに去年までと変わった点です。
昨年までは、やたら高3の大学受験生が多いなあ、という感じでしたので。
また、東高を中心に県立の高校生が多かったものでした。

いまは、その景色ががらりと変わっています。
これは、時勢を反映しているものだと、私は捉えています。
中高一貫の学校に入ったのはいいが、成績が追いつかない、という悩みが増えているのです。

いま、そういったお子さんたちを教えていて、効果が出てきているので、
そういう悩みをお持ちだったら、私は自身の指導をお勧めしたいと考えます。
手応えを感じているのです。

あと言っておかなければならないのは、
このブログを書き始めた当初は、授業形式のものを立ち上げようかと考えていたのですが、
これは、はっきり申し上げてやめることにいたしました。
期待してくださっていた方もいらっしゃいましたので、これはお詫び申し上げます。

また、公立中学の生徒を少しだけ教えてみましたが、
これもやめることにいたしました。
正直に申し上げますが、なにかしら、うまくいきませんでした。
残念だったのですが。

おそらく塾を探されている方の中には、多種多様な塾がある中で、
どこへ行けばいいのか悩んでおられる方が多くいらっしゃるでしょう。
いろいろお探しになってみるといいと思います。

お子さんにぴたりと合うところや、先生は、必ずどこかへ潜んでいるはずです。
私にも、合う生徒と合わない生徒がいます。
合う生徒は気に入ってくれて続けて通ってくれますが、
合わない生徒は、違うなあ、と思ってやめていかれます。

塾とはそうしたところで、学校とは違うので、それでいいのだと考えています。
私にも私にしかできない指導があるとは自負しています。
ですから、この塾に来て、それまでの勉強になにかしら変化が起こり、
不振が解消されていくものがあるのなら、意義のある塾だと思うのです。

ヨハネ受難曲を聴く理由

結局、ヨハネ受難曲ばかり再生している。
今日も、自分のブログで、2度ほど聴いた。

なぜだろう。

ひとつは、ドイツ語の勉強になるからだ。
私の手許には、ルター訳聖書がある。
これが、ほとんどそのまま歌われているのだから、
目で追って、耳をそばだて、これに身をゆだねておけばよい。

英語を習得したときと同じ手法やないか。
バルトが、といってもカールではなく、ロランのほうがいっていた、
ステュディウムな鑑賞法といえよう。

もうひとつは、単純な話で、何度聴いても感動するからだ。
勉強になるとか、ならないとか、この際どうでもよい。
上記バルトは、これをプンクティウムと呼んでいたはずだ。

ちなみに、YouTubeで番組登録とかできるんだろうが、
どうもまだ使い方がわかっていない。
いまさら、な問題だ。

だから、自分のブログに共有したものに頼って聴いている。
そうした姿は、家族からまったくの不興らしく、
ママから一回、娘から一回、またか、という同じ台詞をいわれた。

それも、パソコンを覗き込んでいる背中からだ。

2013年2月23日土曜日

Bach - St. Matthew Passion BWV 244, part 1 (Koopman).

仕事を終えて、ヨハネ受難曲を自分のブログで聴きながら飲んでたら、ママちゃんに言われた。
――お。受難節を受難節らしく過ごしてる。

私が飲んでいるのは、麦焼酎のお湯割りである。
これがいちばん性に合うのだ。
去年まで、受難節って、なんか辛いなあとか思ってたけど、今年はなんか、違うね――とも言われた。

そこでもう一杯注ぎ、ちびちびやっては、マタイを探す。

2013年2月22日金曜日

「学年末」といわれて

ヨハネ受難曲は、昨年、松山バッハ合唱団の公演(ひめぎんホール)で聴いたのが初めて。昨日、YouTubeで検索して、一年ぶりに聴いてみたのですが、やっぱりいいなあ、と。

ふと共有機能がいろいろ進化しているのに気づき、このブログであげてみたわけなのです。時が過ぎ行くと、時代の進みはあまりにも速く、うろたえてしまいます。

私の塾は、受験生がほとんどいなかったこともあり、いまは学年末試験が行われている最中だったり、これからだったり。この一年を振り返ると、欠点をどうしたらいいのか、という難問が俄かに増えましたが、みなさんの努力で解消されつつある、という手応えを感じているところです。

それはそれで、よいことなのだと思う。

私個人に関して言えば、あまりにもいろんなことがありすぎて、書く気にもなれません。とりあえず、いまは。

ひとつだけあげると、ドイツ語の読解力が、着実に身についてきている、というのが、うれしいご報告でしょうか。みなさんの英語に負けないように、がんばっている日々だともいえるのです。

様々な苦難に見舞われる「学年末」ですが、せっかくいただいた杯はいただこうではありませんか。春は決して遠くはないのです。