2012年4月22日日曜日

読書!

私は小学校の時、塾に行ったことがないのです。
学校の勉強は、ちゃんとがんばっていました。

いちばん印象に残っているのが、小学校4年生のとき。
なにしろ担任の先生が出す宿題が、「読書ノート」のみ、というもので、しかも毎日だったのです。

図書館に行っては本を借りて、何ページか読み、読書感想文を1ページ書くということを毎日続けました。ついでに小4からサッカー部に入って、毎日走りまくっていたので、疲れ果てた夜は、机の上に開いた本に、頭を埋めて居眠りばかりしていたかと思い出されます。

しかし、このときの「本を読む」という教育を授かったことが、後の進路に大きな影響を与えたことは確かです。進学校の愛光に入学してからも、毎日のように文庫本を読み漁っていました。サッカー部もやってたわけですが・・・

愛光に入っておもしろかったのは、寮生活でしたから、いろんなやつの読書趣味が透けてみえたことですが、一緒に東大に進学したやつらは、たいてい何かしらのこだわり(例えばヘッセを全部読んでいるだとか、ドストエフスキーを読破してるだとか)を持っていました。私は、高1のときに読破したトルストイの『戦争と平和』がいちばん思い出深いのですが、それは友人から勧められたドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ後、いまひとつ自分には入らず、同じロシア文学だったらこっちのほうが性に合うかなあ、とか思って手にしたのがきっかけで、実際はこのとき既にシェイクスピアやサマセット・モームなど英文学を比較的よく読んでました。


そんなわけで、個別指導をし始めてからも、「何か本読んでる?」と生徒に聞くことがあるのですが、やはり宿題に追われてか、巷に言われる活字離れのせいか、あまり読んでないのが実情のようで、少し寂しく感じているわけです。

だけど、よくよく聞いてみると、マンガはよく読んでいるみたいだ・・・

それだったら、マンガもいいけど、おもしろい本だっていくらでもあるのだから、読むように促してあげるのが、若者の教育を受け持つ大人の役割といったものではないでしょうか。私がペーパーバックで英語を、とこだわる理由は、「読書」にあります。

私の考えでは、数学の問題を解くのだって、ミステリー小説を読み解く推理みたいなもので、ひとつの読解力にかわりないのです。


小学校では、いまでも読書をしよう!という教育がなされているようで、娘が「音読カード」なるものをもって、読んだ作品を書き込んでいく姿を見、ひとりの親として「いい学びをしているなあ」と思いほっとしています。

やっぱ、本を読まないとね!


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