2013年4月3日水曜日

快復、授業を再開


急性胃腸炎になったのは先週の木曜日のことです。
初日からとにかく、激痛と高熱で起き上がることができませんでした。
二日間それが続き、食事ができず、スポーツ飲料水を飲み続け、朦朧と伏せるばかりで。結局木曜日と金曜日の授業はお休みにしてしまい、生徒の皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。
この場を借りてお詫び申し上げます。

土日もダウンしていたのですが、授業は週明け月曜から行っています。
胃腸炎のほうは今日を持って治ったといえる状態になったので、このブログも久しぶりに書いているわけなのですが、治ったのは神さまのおかげです。
もちろん、病院へはきちんと行ったのですが、病の克服には、祈りです。

生きていることは試練そのものに違いありませんが、人に乗り越えられない試練は与えられないとは、聖書にあるとおりです。
また、こうやって生かされているのは、恵みに他ならないのですが、試練そのものも実際は恵みなのだと実感します。
いつ、どこででも感謝せずにはいられませんが、語学を再開出来たときは、ほんとうにありがたくてなりませんでした。
勉強できるのは、幸せなことです。

本日、3月中に読み終えるつもりだった、ラテン語のDisputatio Heidelbergae Habita (ドイツ語訳Heidelberger Disputation) を、これはいわゆる『ハイデルベルク討論』というやつなのですが、やっと読了できました。
さっそく、次のを読み始めています。
病で遅れをとった分は、取り戻していかなければなりません。
実に、語学は一日休むと、三日の遅れが生じる。どれだけ体調が悪くても、一頁でも半頁でもいいから進めたほうがよいのです。

2013年3月28日木曜日

語学のノルマ


今日もなんとかノルマをこなせた。私の語学のことである。
ノルマ、か。久しぶりにこんな言葉を使っているな。
生徒のみなさんも、春休みの宿題のノルマに追われています。たいへん、いいことです。
とくに、語学はね、それはみなさんの場合、英語に関して言うのであるが、少しずつでも毎日やるのが、大切なことね。
今日も生徒を教えていて、我ながらいいことを言ったな、とハッとさせられたのだが、「大体わかれば、それでいいのね。8割ぐらい、とか」。
思想家の吉本隆明も、そんなことを言っていて、今の時代に、「大体でいいんじゃない」と言えるのはすごい、と作家の高橋源一郎が、コラムかなにかに書いていたような気がする。
それが、頭に残っていたのだろうか。
3月も残り少なくなってきたが、独習しているラテン語ドイツ語対訳の本、目標としていたところ、のこり数ページと迫ってきた。
上達もしてきたように、思う。つまり、読んだ部分、大体わかった。

2013年3月26日火曜日

ソロモンの花


春を感じるようになったので、久しぶりに草むしりをしている。
昨年の夏、秋と教会周りの雑草は一掃したはずだったのだが、自然の生命力は凄まじいもので、冬眠していた間に一面雑草、である。

この冬は信じられないぐらい寒かったはずだ。
それが気がつけば、ずいぶんと暖かくなっている。わからないものだ。
聞くところによると、松山でも各所で桜が満開になろうかという勢いで咲いているらしい。
これは、塾に来てくれている生徒や、教会で練習をされている合唱団の方からの情報だ。

実は私は、それほど桜が好きではないし、花見にも興味がない。そもそも友達がいないし、花見になど決して行かない。
じゃあ、家族でも連れて行けばいいじゃないか、という意見もあろうが、これがまったく気乗りしない。
むしろ、紫がかった白い花が、名もわからないのだが、庭一面に咲き誇っているのに気づき、驚かされたのが、かえって気持ちいい。
洗濯物を干すついでに見る、といったぐらいのことで、それほど熱心なわけでもないのだが、見る都度、可愛いものだな、としみじみ感じ入るのだ。

そこで私はこれを、ソロモンの花、と名づけた。
箴言に由来する、ソロモンなのだが、これはわかる人にしかわかるまい。この花の咲き方には、人を励ます優しさが漂っている。
おそらく私がいなくなった後も、このソロモンは、春になると咲き乱れるだろう。世間が花見だといっている季節になると。

そのとき、この花の存在に気づき、励まされる誰かがいる、と想像してみるのだ。
こういった春の味わい方が、じつに私らしくていい、と考えている。
ソロモンの花。いいネーミングである。

2013年3月23日土曜日

復シュー


復シューとは、結局何度でも繰り返してシューマンを聴いてしまう、ということを意味します。

これはきわめて大切なことですが、無理を重ねて疲れ切った、この週末の夜においてさえ、いやしを求めつつ、なおも力づけられるとすれば、シューマンをおいて他には考えられないのです。
さきほどブラームスの交響曲4番を聴いていたら、家族から、ちょっとやめてくれないか、という苦情をいただきました。
そういった身近な環境問題から、平和への解決策、たゆまぬ努力を続けていかなければなりません。

あらためて言いますが、その第一歩が、復シューなのです。これぞ、いのちへと至る道。

2013年3月22日金曜日

春休みの夜シュー


夜シューとは、ふと落ち着きを取り戻した夜に、シューマンを聴いてしまう、ということだ。

ところでこの世には、祝日というものがある。
これが、日々保ってきた生活リズムを狂わせてしまうのだ。
とりわけ、子育てをしていると、たいへんなことになる。
学校や園に対する感謝の念が切実になるのも、まさにこのときだといえよう。

私があずかっている生徒の多くも、春休みに入った。
どの学校も、宿題がどっさりと出ている。
それは、遊ばせない、という魂胆なのだという。
いずれにせよ私の周囲では、休みであればあるほど忙しいという法則が成り立っている。

だとすれば、これを休みと呼んでよいものなのだろうか。

2013年3月15日金曜日

未来系バッハ


今日は、塾を終えた後、武久源造さん、山口眞理子さんたちが催されたプラネタリウム・コンサートへ。終演までに間に合い、数曲を拝聴することができました。コンサート途中からの入場という本来あってはならないことまで許していただき、いろいろご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
お二人には、6月に、このルーテル教会でミニ・コンサートを開いていただきたいと願っていて、現在企画を進行しているところなのです。いろいろと壁がありますが、是非、実現させたいものです。改めて胸が熱くなりました。6月、是非!

2013年3月14日木曜日

寒い夜はシューマン


教会の塾では、バッハしか聴かないのです。いろいろ理由があります。落ち着いて生徒とともに勉強をするには、バッハしかなかろうと思うのです。ロマン派になると、とたんに激しくなりますから、塾にはちょっと、と躊躇します。それはそれで面白いのかもしれませんが。
しかし、塾を終え、いよいよ夜を迎えるというとき、実は最近、シューマンにはまっています。若い頃はモーツアルトとかベートーベン、ときどき印象派。まあ、ありがちな感じで。それがこの歳になってロマン派かよ。自分でもあきれ返ってしまいます。
生徒の親御さんから、家で勉強しない、という嘆きの相談を受けることがあります。よくある原因はゲームにはまっている、というものです。なるほど、それは時代の問題かもしれません。私から言える解決策はただひとつ。寒い夜は、シューマン。それが、ここまで生きてきて見つけた結論でした。